概要
赤光帝57年頃にオーフェン・フィンランディによって設立され、校名には自らの忌み名の由来である魔王スウェーデンボリーの名を冠している。魔術学校としてだけでなく一般の普通学校としての側面も併せ持ち、非魔術士の生徒も魔術士と同じ環境で学んでいる。
ラポワント市商業区の中心部に立地し、学生寮と、都市郊外には専用の訓練場を所有する。校舎は地上3階建ての教練棟が第一棟から第八棟まであり、《牙の塔》には及ばないが造りはしっかりしている。有事の際には生徒やその家族を収容できる広さを確保している。
沿革
原大陸の開拓が始動してから10年ほどが経過した頃、原大陸随一の有力者となったオーフェンが舵を取り、「遅れてきた開拓者」として原大陸に渡ってきた魔術士たちと共に開校した。
学校の事務・運営は全て非魔術士が行っている。これは開校当時、市民の大半を占めていた先住開拓民(特に反魔術士感情の強い元キムラック人)の感情に配慮した妥協策と言える。開校から10年が経った現在も両者の溝は完全には埋まらず、事務方と教師方の関係もあまり良好とは言えないが、学校の出資者の中には魔術士に対して反感を持たない穏健派の元キムラック人も存在する。
後にキエサルヒマ魔術士同盟は原大陸での魔術士の保護を正式にオーフェンに委託した。
校風
古い慣習や体制に縛られない、自由で大らかな校風が特徴。視察に訪れたプルートー曰く、その理念はキエサルヒマのスクールに似ていると評される。
一般市民も生活する市街のただ中に立地しているということもあり、戦闘訓練は別の場所に設けられた訓練場で行われている。
オーフェンは、全ての生徒が戦闘訓練を強制される必要は無いという意見の下、自ら志願する生徒に限り、適正検査による選別を行った上で、魔術戦士になるための専門課程へと進ませている。
ラッツベイン曰く、出資者の間で自分達の子供や孫を通わせているのが密かな流行となっているらしい。
フロア
- 第一棟
- 学校で最も大きな校舎。校長室、教員室、会議室、事務局などが入っている。
- 第二〜第七棟
- 一般の教室。
- 第八棟
- 講堂がある。