概要
かつて「外大陸開拓計画」と呼称されたアーバンラマ資本による新大陸開拓事業「カーロッタ・サルア計画」の始動からおよそ3年が経つ頃、長く紛争状態にあったキエサルヒマ大陸ではようやく貴族連盟と大陸魔術士同盟が停戦にこぎつけ、大陸全土を巻き込んだ混乱も収束へ向かった。これを機に貴族連盟は、それまでキエサルヒマ大陸内の開拓事業を取りまとめていた開拓公社の機能を大幅に増強・改編し、新大陸開拓事業に参入した。
原大陸には少数の専門家と経営者のみが派遣され、労働者は現地であぶれた者を安く徴用するという方針が取られた。司法整備が不十分な頃、公社は原大陸を「無法の地」と見なし、資材の盗難や土地絡みの詐欺、脅迫などといった非合法な手段を多用したため、非難を受けた。また契約の際に公社に法外な借金を背負わされ、その返済に苦しむ開拓民も多く発生した。
新たな問題
「遅れてきた開拓者」たちの中には、キエサルヒマ大陸の魔術士も多く含まれていた。当時、原大陸ではすでにカーロッタ派とサルア派の抗争は終結し、両派の合流が成されていたが、先発開拓団のほぼ全数が元キムラック教徒で占められていることに変わりはなく、新たな住人として大勢の魔術士が渡来したことで、再び原大陸に紛糾が巻き起こった。
先発計画の第一人者であるオーフェン・フィンランディは、両者の協調を唱えて調停を図ったが、当時のラポワント市の法廷はこの行為に対し有罪を宣告し、オーフェンからラポワント市の居住権を剥奪した。[1]
当時における魔術士への風当たりは半端なものではなく、自ら率先して危険な作業に従事する事を表明しなければ、医療品はおろか食糧すらも分けてもらえなかったという。オーフェンの指導下にいなければ最低限の市民権すら得られなかったと言っても過言ではない。
現在では、旧カーロッタ派の残党が住む一部地域を除いて両者は共生できてはいる[2]ものの、その間に生じた精神的な溝は依然として埋まっていないのが現状である。